あの感覚は今でも忘れられません。出来ればまたあの舞台にたちたいと思っています。-前編-

にじスタッフ石井

昭和58年生まれ。にじの支援員となって一年半。以前は美容師を長年勤めながらバンド活動もしていた経験を活かし、オーダーメイドの支援を目指したいと話す石井のこれまでの半生と、普段弱音を言わず前向きに過ごす彼のポテンシャルや信念、追い求める理想の自分とは・・・!?

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一緒に働くスタッフとして気になっていたことを根掘り葉掘り聞いちゃいました!私自身もタメになることがたくさん聞けました☆

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インタビュアー:にじ練馬スタッフ 明田

それではよろしくお願いいたします!まず初めに、どのような学生時代を過ごしていましたか?

結構一般的な感じだと思うのですが、部活のスポーツもやりつつ、放課後は学校から帰ってきて16時くらいに友達と遊びに行って、休みの日は土日両方野球チームの野球をやり、平日は週に何回か部活の野球をやり、それがない日は友達と遊ぶ感じでした。勉強は苦手で成績もあまり良くなかったです。授業中好きな子に消しゴム投げてました。
今日あの子どんな髪型なんだろうってウキウキしながら毎日学校に行ってました(笑)それを楽しみに学校に行ってましたね(笑)バレンタインデーのときなんか、みんな放課後まで残ってチョコレート待ちみたいなこと良くしていましたね(笑)
バスケ部は女子チームもあるので、女子が試合を応援してくれてるのが羨ましくて、野球部は校庭の前がちょうど学校の玄関前の下駄箱が見えるので、好きな子が帰ろうとしてるときとかに、こっちに注目してほしくてみんなやる気出して声出ししてかっこつけてましたね(笑)

恋する野球少年ですね!(笑)そうなると、将来の夢は野球選手だったのですか?となりにはその子がいて・・・(笑)

それは密かに妄想してましたね(笑)それは冗談として、学生時代の夢は、家が和菓子屋さんで職人の家だったので、スーツを着る文化がないというか、サラリーマンになるとかそういうのはなかった気がしますね。
野球は好きで続けていたのですが、上手かったわけではないので、子供ながらに野球選手にはなれないと察していました(笑)
それとアメリカに行きたいと思っていました。アメリカにすごく憧れていたので。小学生のときに父親の友達にアメリカ人がいて、近所で英会話教室をやっていてその英会話教室に通っていたのですが、毎年夏になると外国人グループが実家に帰ったときのビデオを見せてくれるのですね。「アメリカこんな感じだぜ!」みたいな(笑)
そのときにグランドキャニオンが写っていて、生で見てみたいなと思っていましたね。
それは今でもずっと考えていますね。

わたしは本場のシルク・ドゥ・ソレイユが見てみたいです(笑)バンド活動はその頃からされていたのですか?

中1の時、文化祭で中3の先輩方がイエモンのコピーバンドをやっていて、それに憧れてバンドをやりたいと思うようになりました。野球と友達との遊びでベースをやる時間はありませんでしたが(笑)
高校はバイトをしたかったので部活はやらず、高1の夏休みにファ◯リーマートで毎日アルバイトをして、夏休み明けの給料日にベースを買いに行きました。
ずっと欲しくて眺めていただけだったのですが、自分で買ったことが本当に嬉しくて毎日弾いてましたね。一生大事にしようと心に決めた瞬間でした。将来自分もイエローモンキーさんのように大きな舞台に立ち、歓声を浴びる姿を想像していました。
初めは上手に引けなかったですし、指もボロボロになっていたのですが、不思議と辞めようという気は起きなかった気がしますね。

高校2年生のとき、美容学校に行こうと決めて、ベースも止めたくなかったので、何かを捨てなきゃいけない思い、公園とか友達の家にたむろするのを止めて、美容学校とベースの両立を選びました。
高校の時は地元の先輩や同じ時の友達と体育館を貸し切ってliveをやったりしてました。フェスに憧れて、今思えば高校生たけでフェスをやるなんてなかなか凄いことですよね(笑)近隣にきちんと挨拶回りなんかしちゃって(笑)
そこから社会人になり毎日忙しくてバンドはしばらくやってなかったのですが、友達の結婚式で久々に中学の当時のバンド仲間と再会して、「久々にスタジオで遊ぼうよ」という話になり、仕事帰りにお酒を飲みながらスタジオで遊ぶようになりました。
当時の学生時代や夢を語り合ったりして、子供だったあの時には出来なかったことがもしかしたら出来るかもしれないと思いました。自分たちでレコーディングをしてみようとなり、そのCDが全国のタワレコとかに並ぶことになりました(笑)


急遽全国発売をすることになり、「ちゃんとしたCD」を作ることになり、音楽の編成も何回も練り直しました。趣味でやっていた音楽でしたが、全国の皆さんに届けることが出来ると考えたら中途半端なものは提供できないし、欲を言えば有名にもなりたかったので本気で取り組みました。美容師免許を取る時以上だったかもしれませんね(笑)
タワレコでインストアliveをやることになって、なんとあの渋谷のタワレコですよ、音楽をやっている人だったら登竜門です。他にも新宿や大阪の梅田でもやらせていただいて、嬉しい忙しさでしたね。大阪では少し観光もしたのですが、方言が違う土地で自分たちの音楽が披露出来ることにも、全国発売出来るという実感が湧きました。
そのあとに、フジロックという運営会社から出演依頼の連絡がありました。本当に憧れていた舞台だったので、みんなで抱き合って喜びました。

フジロック出演はすごいことですね。出演されたときはどのように感じましたか?

憧れのイエローモンキーさんも出演されているフジロックで、まさか自分たちが演奏出来るなんて夢にも思っていなかったので、出演が決まったときは本当にメンバーたちと大興奮でしたね(笑)更に猛練習を重ねて、当日は緊張して吐きそうでした(笑)

苗場プリンスホテルが出演者の控室で、出番まで自由時間なのですが、控室で音合わせを念入りに行ったり、他のステージを見に行ったりして気持ちを温めていきました。実際に僕たちが出演するブースは6つに分かれていて、一番小さいステージだったのですがラストの鳳を務めさせていただくことになりました。順番が自分たちに近づくにつれて「大丈夫」と自分に言い聞かせてモチベーションを保っていました。「僕たちにしか出来ない音楽、音色がある」と奮い立たせました。

そろそろ本番の出発時刻になり苗場プリンスホテルからバスで向かい、ステージ裏の楽屋につき運営スタッフから「そろそろスタンバイお願いします。」と声がかかりました。
最終音合わせをしているときに、学生時代バンドを始めた頃、メンバー同士で方向性や意見の食い違いで喧嘩になったこと、何度も打ち合わせと音合わせをして納得いく音楽を作り上げたこと、お互いを認め合い励まし合ったことが走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。

「まだ泣けない、終わってからにしよう」と言い聞かせて、みんなで円陣を組んで気合いを入れ直してステージに上がったときは、観客の皆様のダイレクトな臨場感にしびれましたね(笑)とにかく「僕たちの音楽を届けよう」という気持ちで、最高のパフォーマンスが出来たと思います。あの感覚は今でも忘れられません。出来ればまたあの舞台にたちたいと思っています。

この経験は人生においてよい財産となりました。あくまでもメンバー皆仕事をしながら休みの日にバンドをやるという環境だからこそリラックスした良い作品が出来たのかもしれないですね。

特別な経験をされたんですね。一見輝かしい暮らしをしていたように見える石井さんですが、裏には挫折も多くあったかと思います。今回は幼少期からの表舞台に着目しましたが、次回はその裏側に迫りたいと思います。乞うご期待!!

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