ベースのような人生 -後編-

にじスタッフ石井

昭和58年生まれ。にじの支援員となって一年半。以前は美容師を長年勤めながらバンド活動もしていた経験を活かし、オーダーメイドの支援を目指したいと話す石井のこれまでの半生と、普段弱音を言わず前向きに過ごす彼のポテンシャルや信念、追い求める理想の自分とは・・・!?

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前回に引き続き、気になることを根掘り葉掘り聞いております!
前回のインタビューはこちらよりどうぞ

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インタビュアー:にじ練馬スタッフ 明田

当時美容師もされていたと聞きますが、美容師になろうと思ったきっかけは何ですか?

家が和菓子屋だったので、祖父とか父親のことをずっと見ていて、技術職に就きたいと思ったからだと思います。物作りの職人さんにも憧れていました。

美容の専門学校で何かエピソードはありますか?

美容の専門学校に行ったのですが、美容師ってハードなので、先生も仕事のように教えるので、8時半朝礼だったのですが、1分でも遅刻すると「帰れ!」と言われ帰されていました。掃除も結構厳しくて、トイレも床も舐められるくらいキレイにしろという教えでした。とても厳しい世界でやっていた方が先生だったので、とても厳しく教えられました。掃除が終わると「これ舐められるのか?」と言われやり直しを何回もした記憶があります。

やはり厳しい世界なのですね。そういうときに辛いと感じていましたか?

学校が終わったあとに友達とかと遊んでいたので解消されていました。普通の学校だとだいたい15時で終わりなのですが、美容学校ってそのあともみんな残って練習するので、結局みんな18時まで居残りしていましたね。終わったあとはアルバイトか、ない日は近所の公園でみんなでお酒を飲んだりしていましたね。
みんな同じ目標をもっていたので、みんなで乗り越えた感じで辛いと感じたことも多かったですがどちらかというと楽しかったです。
でも一番しんどかったのは国家試験前でしたかね。学科も実技もあったので、夜遅くまで学校に残って勉強していましたね。
美容の免許は3月の末に結果が来るので、そのときはもう美容室で実習が始まっていたので、受かったときはああようやく始まるのかという感じでしたね。もし受かっていなかったら、実習していてもそのまま不採用になるので、やっとこれからスタートだという感じでしたね。

実際に働き始めて色々な出来事があったと思うのですが、やっていて一番嬉しかったことは何ですか?

色々嬉しい出来事はありましたが、一番思い出深いのは、小学生から通ってくれていて、成長の過程で入学式に携われて、成人式も担当が出来て、のちに入試の面接前の散髪に来てくれて、その人の色んな中の人生の分岐点に携われるのは、本当にすごくいい仕事だと思いますね。

人生に触れられる仕事だったということですね。何か印象に残っているお客様とかいますか?

めちゃくちゃ難しい奇抜なヘアスタイルを注文する人がいれば、すごいおしゃれで流行に敏感な人が、警察学校に行くと言って坊主にしたときはなんか大人になったなと思って感激して思い出に残っていますね。

感慨深いものがあったのですね。美容師を続けていく中で、大変なこともあったかと思うのですが、エピソードはありますか?

最初は挫折ばかりですよね。専門学校を卒業してもお店によって方針が違うので、最初は本当に挫折ばかりでした。朝営業前に出社して練習して、営業終わったあとも残って練習して、3か月くらいで10キロくらい痩せましたね(笑)
学生時代カップ焼きそばが大好きだったのですが、たくさん食べていたらすごい太っちゃったのですが、実際に働き始めたら10キロ痩せてゲッソリとしちゃいました笑
あとは、月に一度仲良い友達たちとお酒を飲んでいたのですね。いわゆる反省会ですね。自分がこうしたいという目標が叶えられないね、不甲斐ないね、と悔しい思いをしながらお酒を飲むってことが多かったですね。

具体的には?

今練習していることが上達しなかったり、お客さんにもっとこうした方がいいと思ってはいるけど上手く伝えられなかったとか、実際にカットがうまくいかなかったときにクレームになったり、リピーターが増えず何がいけないのかなかなか答えが出ずに思い悩んだり、カラー材をひっくり返したり、上司に怒られてばかりでしたね。数を上げればきりがないんですけど、悔し涙を何回も流していました。美容師の忙しいときのスピードにも最初は全然ついていけないので、本当不甲斐なくて、みんなでそういう話を男泣きしながら話していましたね。
一回挫折の果てのときに、いつも通り朝2時間前に出社して練習していたのですが、どうにもこうにも耐えられなくて、いてもたってもいられなくなり海にいこうと思って、そのまま海に行ったことがありましたね。
その時にお世話になっている上司がたまたま見かけちゃったみたいで、上司からすぐに電話がきて、「すぐに戻ってこい!」と言われそのまま説教コースでしたね(笑)
説教というか、ちゃんと話を聞いてくれましたね。
そのとき頭が混乱していたのですが、始めマネージャーが話を聞いてくれて、次にサブマネージャーが話を聞いてくれて、技術が上がらなかったり足をひっぱってるんじゃないかって不安が溢れてきて泣きながら言葉を発してましたね。その日の仕事終わりに社長が飲みにつれて行ってくれたのですが、「絶対成長出来るから頑張れ」とエールを送ってくれてとても励みになりました。あのときの言葉は忘れられません。自分の無力さを認められた瞬間でした。

美容師は結果的に辞めてしまったわけですが、理由は何でしたか?

その一件のあとも今まで続けていたのですが、なかなかハードな仕事なので、65歳まで働くってなったら、めちゃくちゃ大変だと思っていたので、そこを考えたとき、他に出来ることないかなあと考えました。美容師やっていたときって1日20人くらい人と接することが多くて、1カ月で考えるとすごい人数になって、一人ひとり要望も違うし性格も違うし、性別も違うし、みんなオーダーメイドなので、何か他に置き換えて他に何かできることはないかなと考えていたときに就労移行を見つけました。就労移行もそれぞれ夢も違うし、病状もみんな違うし、ひとりひとりのことを考えながら仕事出来るって今までの美容師の仕事を生かせるかなと思って、就労移行という仕事を選びました。自分自身が支えもらってここまで来ることが出来たという経験を伝えることも出来ますし、誰かの支えにもなりたいと思いました。なので福祉はずっと携わっているわけではなかったので、まったく新しいチャレンジではありましたね。

福祉の仕事で、時としてその人の人生に多大な影響を与えることがあると思うのですが、そのことによる怖さとかはありませんでしたか?

絶対にミスが許されない仕事だとも思うのですが、美容師もミスしたら終わりの世界なのでそこはその時に鍛えられましたね。スポーツも絶対に負けられない戦いがあると良くいいますが、こっちは毎日が絶対に負けられない戦いなんだよ、と美容師仲間と話していましたね(笑)福祉の仕事はその上毎日関わりを作っていく場なので、しっかり状況把握をしたうえで、その人に伝わるように、その人の人生がよりよく輝いていけるように、決められた期間の中で出来る支援をしたいです。

福祉の仕事に携わってよかったと思うときはどんなときですか?

就労移行というのはその人の将来に向けて取り組んでいるというところがあるので、その中で就職ってその人の人生の中でとても重要なポイントだと思うので、そういう時期に携われるのは本当に良い仕事だと思いますね。

挫折しそうになったことはありましたか?

最初は就労移行っていう制度や症状のことを学ばないといけないのも大変なことでしたし、まだまだ学ぶことがたくさんあるなと感じていますね。どのようにしたら利用者の方を支えられるか自問自答する毎日です。

一番緊張したときはどんなときでしたか?

最初慣れない環境だったので、常に毎日緊張していました笑

自分の成長を実感することが出来たエピソードはありますか?

久しぶりに会った人たちに、なんかずっしりしたねとか言われたときには、成長したのかなと思いますね(笑)
あとはやっぱり利用者さんが就職したときに最後にありがとうございましたと言われるのは本当にうれしいことですね。最後の通所のときとか涙ぐんでしまいますね。自分も
一緒に成長出来た感じがします。

仕事をする上で一番大事にしようと思っていることとはなんですか?

まずは、本当に日々利用者さんの状態もそうですし、やらなきゃいけないことというのも本当に日々変わっていくことだと思うので、今何をしなければいけないか、何が必要なのかということを大事に考えていますね。

今している仕事はどんな仕事だと思いますか?

かっこいいこと言った方がいいですか?笑

かっこつけなくて大丈夫です(笑)これまでの仕事の経験を経てどう感じるか

オーダーメイドの職人みたいな感じですかね、その人に合わせて色んなことをやっていくじゃないですか、なので特別な仕事だと思います。みんながみんな出来る仕事ではないと思っています。

にじという会社をこんな会社にしていきたいという想いはありますか?

今はすごい人数の就職者がいますが、もっともっと就職できる人を増やしていくっていうのが、まずひとつ大事だと思うのですよね。あとは、こういう場所があるということをもっともっと広めていきたいというか、もっともっと知ってもらいたいです。にじっていうこんな事業所があるっていうことを。

仕事のオンとオフはどうやって切り替えていますか?

休みのときはペン習字とか、字をキレイにしたいので練習しています。オンとオフの切り替えはしっかりと行っています。どこか自然を見に行ったり、友達と飲みに行ったときは仕事のことはいったん忘れて、楽しむことに集中しています。なので自然とオンオフは切り替えているかもしれませんね。

自分でこれはしないようにと戒めていることはありますか?

飲み過ぎないようにしています笑

憧れている人はいますか?

祖父を尊敬していますね。小さい時から和菓子屋だったので、朝四時くらいから仕事しているところとか。昔酔っぱらって朝方帰るともう仕事していて、頭が上がらないというか、尊敬していますね。

生きる上で一番大切にしていることはありますか?

自分の気持ちです。やりたいって思うことをやったり、自分の気持ちに正直になることです。

10年前の自分にかけたい言葉はありますか?

本当にサラリーマンになっているとは思わなかったので、無事サラリーマンになっているぞ、と声をかけたいですね(笑)
10年前は美容師として奮闘する毎日で8割苦しい中で生きていたので、「今感じている苦しみや葛藤全てが今生きる糧、仕事に活かされているから、負けずにつきすすめ」と言いたいですね。

10年後どんな自分になっていたら良いと思いますか?

肝をすえて信頼される人間になりたいですね。今はまだ未熟者ですが、にじで色々経験させていただいて、利用者の方はもちろん、のちに入ってくるスタッフにも先輩として頼りにされる人間になりたいです。親孝行をして、家族を支え、人として大きくなりたいです。今支えてくれている方々にも成長したと言ってもらいたいです。
僕自身が苦しい毎日でも乗り越えて来られたのは、仲間や夢があったからだと思います。

夢は結婚して家庭をつくり、祖父や父を超え育ててくれた家族に恩返しをするというありふれたものしたが、自分一人では今の自分に出会えなかったと思います。その時に支えてくれた仲間や先輩方がいたからだと思っています。生きていれば辛いことの方が多いです。みんながみんな乗り越えられるものでもないし、時に休息が必要なときもあります。そんな今苦しみの渦中にいる方の支えになり、その人の未来のために何が出来るか、自分がどのように発信し行動するかが指名だと思っています。

それでは最後に聞きます。人生とは?

ベースのような人生です。ベースって、ギターやヴォーカルと違って目立つ役割じゃないんですけど、ベースがないと音楽に安定さがなくなってしまうものなんですね。
縁の下の力持ちという感覚ですかね。
なので、僕も目立つ存在ではないにしても、陰ながら誰かを支え、軌道に導いてあげられるような存在になりたいと思っています。

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